【世界線#15】もしも全人類が世界共通言語を話していたら?―バベルの塔を超えた文明の光と影―

崩壊せず天に届く巨大なバベルの塔を中心に、古代と近未来が融合した都市と多様な人々が黎明の光に包まれている様子。
崩れなかったバベルの塔がそびえる「通じ合う世界」の黎明。古代と未来が交差する都市で、人々はひとつの言語を共有している。

もしも、人類がその歴史の黎明期から、あるいはある決定的な転換点から、一つの共通言語を話していたとしたら。バベルの塔の神話が描くような言語の分裂を経験せず、意思疎通の障壁が存在しない世界が実現していたなら、我々の文明はどのような軌跡を辿ったのだろうか。それは、誤解や対立のない平和なユートピアか、それとも文化的多様性を失った均質なディストピアか。本稿では、この壮大な仮定に基づき、世界共通言語がもたらすであろう歴史の変容を論理的に考察する。


目次

分かたれた声、築かれた壁――史実における言語の役割

現実の歴史において、言語は単なるコミュニケーションの道具ではなかった。それは民族を定義し、共同体の絆を育み、文化の器となる根源的な存在であった。古代メソポタミアの楔形文字からエジプトのヒエログリフ、そしてギリシャ・ローマのアルファベットに至るまで、文字と言語の発展は文明の発展そのものであり、同時に「我々」と「彼ら」を分かつ境界線でもあった。言語の違いは、時に交易や技術伝播の障壁となり、外交交渉における誤解は数多の紛争の火種となった。特に、国民国家(ネイション・ステート)が形成された近代以降、国語の制定は国家統合の象徴であると同時に、少数言語を抑圧する装置としても機能した。19世紀末に考案された人工言語エスペラントのような試みは、言語統一による世界平和という理想を掲げたが、既存の言語文化が持つ歴史的・感情的な重みを乗り越えられず、限定的な成功に留まった。かくして人類は、数千もの言語が織りなす豊かさと、それゆえに生じる断絶という、根源的なジレンマを抱え続けることとなったのである。この文化多様性の源泉こそが、我々の知る世界の姿を形作ってきたのだ。


ローマの遺産、もう一つの「俗ラテン語」――歴史の分岐点

この世界の歴史が我々の知るそれと決定的に袂を分かったのは、西暦6世紀のことである。史実では西ローマ帝国が崩壊し、その版図に侵入したゲルマン諸民族の影響で、公用語であったラテン語は各地で方言化し、やがてフランス語、スペイン語、イタリア語といったロマンス諸語へと分裂していった。しかし、この仮想世界線では、東ローマ(ビザンツ)帝国の皇帝ユスティニアヌスによる西方再征服事業が、史実をはるかに上回る成功を収める。彼はイタリア半島のみならず、ガリア、ヒスパニアの旧ローマ領の大部分を再確保し、帝国の権威を再び確立したのだ。

この成功の鍵は、彼の後継者たちが単なる軍事的支配に留まらなかった点にある。彼らはゲルマン系の王たちを巧みに取り込みつつ、ローマの遺産である行政システムと教育制度を徹底的に再興した。特に重視されたのが言語政策である。各地で分化しつつあった俗ラテン語に対し、コンスタンティノープルとローマの学者たちが協力して標準化事業を断行。「統一俗ラテン語(Lingua Communis Romana)」として文法と語彙を整備し、帝国の隅々に設置された教会や修道院付属の学校で、聖職者から庶民に至るまで徹底的な教育を施した。これにより、西ヨーロッパにおける言語の分裂は食い止められ、一つの強固な世界共通言語の基盤が築かれた。この「生きたラテン語」は、後の大航海時代、ヨーロッパ人が世界中に進出する過程で、行政・商業・科学の圧倒的な先進性を背景に、瞬く間に全世界へと伝播していくことになる。

ユスティニアヌス帝が「Lingua Communis Romana」と記された巻物を掲げ、学者や聖職者に囲まれた西暦6世紀のローマ風景。
西暦6世紀、ユスティニアヌス帝が「統一俗ラテン語」の書簡を掲げる歴史改変の瞬間。世界共通言語の誕生がここから始まる。

加速するルネサンス、再編される信仰――中世・近世の変容

「統一俗ラテン語」の存在は、中世から近世にかけてのヨーロッパ社会に劇的な変化をもたらした。まず、知識と情報の伝達速度が飛躍的に向上した。史実では翻訳という巨大な壁に阻まれていた学術交流が、何の障壁もなく行われるようになったのである。イタリアで始まったルネサンスの人間主義的思想や芸術様式は、瞬時にイングランドやドイツ、イベリア半島の知識人たちに共有された。ボローニャ大学の法学、パリ大学の神学、オックスフォード大学の自然哲学は、リアルタイムで議論され、互いに影響を与え合った。その結果、科学革命は史実よりも1世紀近く早く、かつ広範囲で花開くこととなる。

宗教の世界もまた、大きな変革を迫られた。マルティン・ルターに相当する改革者が現れた際、彼の批判――例えば「95か条の論題」――は、聖書の翻訳を待つまでもなく、全ヨーロッパの知識層と民衆に直接届いた。これにより、宗教改革は特定の国家や民族と結びついた運動とはならなかった。言語の違いによるナショナリズムの高揚が存在しないため、ドイツ語訳聖書がドイツ人の連帯感を生んだような現象は起こらない。むしろ、改革はカトリック教会全体の内部問題として扱われ、より迅速かつ普遍的な公会議による自己改革が進展した。結果として、ヨーロッパはプロテスタントとカトリックに分裂するのではなく、教会内に「改革派」と「保守派」という巨大な思想的潮流を抱える、より統一された宗教圏を維持した。このコミュニケーションの円滑さが、宗教戦争の激化を抑制する方向に働いたのである。


「世界連邦」の胎動と均質化する文化――近現代への長期的影響

言語統一は、近代以降の地政学的な世界秩序を根底から覆した。最大の相違点は、言語的アイデンティティを核とする「国民国家」が、ヨーロッパにおいて主流にならなかったことである。フランス人、ドイツ人といった意識は希薄で、人々は自らを「ガリア地域の住民」「ゲルマニア地域の住民」といった地理的区分、あるいは「ヨーロッパ人」という、より大きな枠組みで認識した。これにより、ナショナリズムに起因する大規模な戦争、例えば普仏戦争や二度にわたる世界大戦の発生は回避された。代わりに、ヨーロッパは早期から政治的・経済的統合へと向かい、19世紀末には強力な中央政府を持つ「ヨーロッパ連邦」が成立した。

この連邦は、大航海時代以降に築かれた広大な植民地を継承し、事実上の「世界政府」として君臨する。植民地支配においても、言語教育というコストが存在しないため、現地の優秀な人材を連邦の市民として取り込む同化政策が極めて効率的に進んだ。しかし、この効率性は、世界各地の固有言語と、それに根差した文化の急速な消滅という深刻な代償を伴った。日本語、中国語、アラビア語、ヒンディー語といったかつての大言語も、行政と経済の言語である「統一俗ラテン語」の前に劣勢となり、数世代のうちに地方の口承伝統や学術研究の対象へと追いやられていく。グローバル文化が隅々まで浸透し、世界は驚異的なレベルで均質化された。思考様式や価値観までもが、世界共通言語の持つ論理構造や文化的背景に強く影響され、人類全体の文化多様性は著しく減衰したのである。


現代情景――世界首都ネアポリス、2024年

西暦2024年、地中海に浮かぶ人工島に建設された世界連邦の首都、ネアポリス。超高層の行政タワー群が空を突き、その間を静音型のリニアシャトルが滑るように行き交う。街中のホログラム広告や公共表示はすべて、洗練された書体の「統一俗ラテン語(Lingua Communis)」で記されている。カフェのテラスでは、肌の色も人種も異なる人々が、同じ言語で量子コンピューティングの未来や、木星の衛星都市への移住計画について流暢に語り合っている。コミュニケーションに齟齬は一切ない。

しかし、この完璧な調和の底には、奇妙な空虚さが漂う。若者たちの間では、自己のアイデンティティを表現するため、極端にニッチな思想グループや、古代の失われたシンボルをモチーフにしたサイバーパンクファッションが流行。ホログラムのニュースは、画一的なグローバル文化への反発から生まれた「再地域主義(Re-regionalism)」を掲げる小規模なテロについて報じている。国立博物館の「失われた声(Voces Perditae)」部門では、来館者たちがヘッドフォンをつけ、かつて「日本語」や「スワヒリ語」と呼ばれた音声を聞いている。彼らの表情には、美しいが意味の分からない鳥のさえずりを聞くような、純粋な好奇心しか浮かんでいない。

地中海上の人工島にそびえる未来都市ネアポリス。カフェテラスで多様な人々が談笑し、背景にはリニアシャトルと高層ビル群が広がる光景。
地中海上の人工島に築かれた世界首都ネアポリス。多民族が同じ言語で語り合うカフェテラスと未来都市の調和。

バベルの再建は、果たして祝福だったのか――まとめと考察

世界共通言語がもたらした世界は、確かに多くの恩恵を人類にもたらした。科学技術は驚異的に発展し、経済はグローバルに統合され、民族や国家間の大規模な戦争は過去の遺物となった。意思疎通の壁がない社会は、効率性と合理性を極限まで高め、人類を宇宙へと進出させるほどの力を与えた。これは紛れもなく「光」の側面である。

しかしその一方で、我々が失ったものの大きさは計り知れない。言語と共に消滅した無数の物語、詩、思考法、そして世界観。均質化された文化のなかで、人々は新たな拠り所を求めて彷徨い、かえって先鋭的な思想に傾倒する危険性をはらんでいる。これは文明が支払った「影」の代償だ。言語統一は、人類を一つの家族にしたかもしれないが、その家族から個性豊かな兄弟姉妹の顔を奪ってしまった。

我々の現実世界は、幸か不幸か、多様な言語が共存する複雑さに満ちている。その複雑さこそが、文化の豊かさを生み、思考の多角性を担保しているのかもしれない。この仮想の歴史は、我々に鋭い問いを投げかける。真のコミュニケーションとは、単に言葉が通じることなのか。それとも、異なる背景を持つ者同士が、互いの違いを乗り越えようと努力する、その過程そのものにこそ価値があるのではないか。我々が守るべき「多様性」の本質とは、一体何なのだろうか。その答えは、今を生きる我々一人ひとりの手の中にある。

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