【世界線#009】もしもインターネットが存在しなかったら ―情報革命なき世界と文明の停滞する未来―

有線電話の看板や公衆電話が並ぶ都市のビジネス街。電子掲示板の代わりに紙のポスターが貼られ、人々がファックス機を使う光景が見られる、インターネットのない現代風景。
FAXと紙が支配する都市風景 ― “接続されなかった未来”の現代社会を象徴する街並み
目次

情報なき世界の想像図──通信革命がなかった文明の行方

インターネットは今や人類の神経系のような存在である。では、もしそれがそもそも存在しなかったら? SNSも検索エンジンもクラウドも存在しない、全く異なる情報社会が築かれていたかもしれない。その仮定世界の構造を、現代から振り返って考察してみよう。

通信技術の発展とインターネット誕生の史実

インターネットの起源は1960年代のアメリカにある。軍事目的で開発されたARPANETは、複数のコンピュータをパケット通信で結ぶという画期的な仕組みを導入した。1980年代には商用利用の兆しが見え始め、1990年のWorld Wide Web(WWW)の発明により、一般大衆のアクセスが可能となった。

その後、検索エンジンや電子メール、Eコマース、SNSなどが次々と登場し、社会構造・経済・教育・医療・政治などあらゆる分野に変革をもたらした。グローバル化が加速し、国家や企業の境界を越えた情報流通が可能となり、民主主義の形も変容していった。

この情報革命がなければ、現代の私たちが享受している利便性も、多様性も、スピード感も存在しなかった可能性が高い。

──だが、歴史の歯車が少し違えば、そのような通信革命は起こっていなかったかもしれないのだ。

失われた接続――通信網の発展が途絶えた歴史の岐路

仮定の分岐点は1973年。現実ではこの年、インターネットの基礎を築く「TCP/IPプロトコル」の概念が策定されたが、仮想世界ではこの技術が軍内部での政治的圧力により凍結されたとする。米国防総省は「分散型通信の制御不能性」に懸念を示し、中央集権的な軍事ネットワークの再構築を優先。その結果、パケット通信技術は一部の研究機関内にとどまり、一般社会に波及することはなかった。

さらに1980年代初頭、個人向けコンピュータの普及に伴い通信ネットワークの需要が高まったものの、政府規制と技術特許の壁により民間主導のネット構築は阻まれた。欧州では独自のネットワーク構想「エウロネット」が挫折し、アジアでは日本の「情報多元化戦略」がFAX文化の延命に貢献しただけに終わった。

このようにして、1990年代を迎えても人類は「オンラインでつながる世界」を経験することなく、ローカルな通信手段(電話、ファクス、テレビ、ラジオ)に依存した社会を維持することとなった。電子メールも検索エンジンも存在せず、情報の流通は依然として紙媒体と放送メディアに支配されたままだった。

この分岐は、単なる技術の遅延ではなく、文明の情報的進化の根幹を変えてしまうほどの大きな転換点となった。

分断された知識社会と停滞する情報流通

図書館でマイクロフィルムを読む学生、研究室でFAXを操作する研究者、書類の山に囲まれた郵便室の様子を描いた写実的なイラスト。非デジタルな情報社会を象徴する場面。
インターネットのない時代、知識は紙と対面によって伝達されていた。図書館、FAX、郵送…そこには確かに情報があったが、流れは遅く、分断されていた。

通信技術の革新が阻まれた結果、1990年代から2000年代初頭にかけて世界の知識社会は分断された状態に留まった。大学や研究機関間の情報共有は郵送や対面会議が中心となり、国際的な学術ネットワークは形成されなかった。専門知識へのアクセスは特定のエリート層に限られ、知識の民主化は進まず、社会階層間の情報格差が拡大した。

ビジネスにおいても、グローバル展開の障壁は高いままであった。企業間取引は電話・FAX・紙文書が主流であり、リアルタイムな在庫管理や電子決済システムは発展しなかった。物流や供給網の最適化は困難を極め、製品流通には多大なコストと時間がかかる世界が続いた。

また、大衆文化の発信源は依然としてテレビと新聞であり、メディアの統制力は非常に強かった。新興の表現者やインディーズ文化は広がる場を持たず、文化の流通は国境と放送権によって制限されていた。世論形成もマスメディアによって一方向的に支配され、双方向的な言論空間は存在しなかった。

このような中で、特定の大国や財閥が情報独占を強化し、情報主権の格差が新たな地政学的緊張を生むこととなった。情報が「資源」として扱われる一方、アクセスの不均衡が人類の統合的進化を妨げたのである。

進化なき未来──インターネットなき世界の100年後

インターネット不在のまま21世紀が進んだ世界では、文明の進化は著しく偏ったものとなった。技術革新は部分的に続いたものの、情報流通の制限がその成長を著しく阻害したのである。2020年代になっても、医療・教育・行政・金融の各分野では旧来型のシステムが継続され、利便性や効率性において深刻な停滞が続いた。

特に医療分野では、世界的な医療知識の共有が困難なままであったことが致命的だった。新興感染症の拡大に際し、各国は情報の断片しか得られず、ワクチン開発や治療法確立の速度が遅れ、多くの犠牲を出す事態となった。AIやビッグデータを用いた予測医療も存在せず、経験と勘に頼る医療現場は限界を露呈していった。

教育においても格差は顕著だった。オンライン授業が存在しないため、地理的・経済的に恵まれない地域では、学習機会そのものが制限された。都市部と地方、先進国と発展途上国の間で教育水準の格差が拡大し、国際的な人的資源の偏在を招いた。

政治体制にも影響が及んだ。言論の自由は依然としてマスメディアの手に委ねられ、多様な意見の可視化は困難だった。草の根運動や市民活動が可視化される場もなく、権力構造への挑戦は長らく封じられたままだった。

経済面でも、情報流通の遅滞はイノベーションの連鎖を断ち切った。ベンチャー企業やスタートアップはグローバルな認知を得る術がなく、革新的アイデアはローカルな閉鎖空間に埋もれていった。GAFAのような巨大テック企業は存在せず、世界市場は伝統的な財閥によって支配され続けた。

全体として、文明は部分的には発展しているものの、インターネットを基軸とする情報革命がもたらした「統合的かつ加速度的な進化」は発生しなかった。人類は、知のネットワークによる集合知の爆発的拡張を経験することなく、分断と局所性に縛られた世界に生き続けている。

現代の風景──“接続されなかった未来”の都市と暮らし

日本の都市部で、公衆電話の前に人々が並び、掲示板には手書きの情報が貼り出されている。ネットが存在しない世界線の2025年を写実的に描いた情景。
インターネットのない日本の2025年──紙の地図と掲示板が情報の中心となった都市の一角

西暦2025年、東京・ニューヨーク・ロンドンといった世界の主要都市は、いまだFAXと有線電話がビジネスの中心を担う。地下鉄の掲示板には紙の時刻表が貼られ、街角の公衆電話には人の列ができる。新聞販売店は健在で、毎朝の新聞が主なニュース源である。情報検索は図書館や電話帳に頼り、娯楽はテレビとラジオが中心。人々は「すぐに繋がる」ことに慣れておらず、郵便の到着を待つ日々を当然のものとして受け入れている。SNSもなく、個人の発信手段は限られ、社会全体の思考速度は緩やかだ。そこには、静けさと同時に、失われた可能性への影が垣間見える。

情報の静寂が問いかける未来──“つながらなかった世界”からの教訓

インターネットという文明の血流を持たなかったこの世界は、結果としてより静かで、秩序ある情報空間を保ったかもしれない。だがその代償は、知識への平等なアクセス機会、民主的対話、文化の多様性といった、現代が当然視している多くの価値の喪失に他ならなかった。

個人が世界と「接続」される機会を持たず、情報の受け手であることを宿命づけられた社会──それは、表現の自由が抑制され、創造性や革新が局地的にしか発揮されない世界だったともいえる。

この仮想の歴史から導き出せるのは、テクノロジーがもたらす恩恵だけではなく、それを実現する意志と制度の重要性である。技術そのものよりも、それを共有しようとする社会構造のほうが、人類の未来を左右する。

もし今、ネットがなかったらと想像することは、現代社会の脆弱性と恩恵の両面を見つめ直す手がかりになる。情報があふれる現実の中においても、何を選び、どのように繋がるべきか。その問いは未来に向けてますます重みを増していくのではないだろうか。

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