【世界線#16】もしもジョン・F・ケネディが暗殺を逃れていたら?―JFK生存ifが拓く「新・宇宙時代」と変容した世界秩序―

ジョン・F・ケネディがパレードカーから笑顔で手を振る後ろに、月面都市と火星探査船が浮かぶ、現実と仮想未来が融合した風景
ケネディ生存が切り開いた「新・宇宙時代」の象徴的瞬間

もし、歴史を決定づける一瞬を巻き戻せるとしたら、我々はどの場面を選ぶだろうか。1963年11月22日、テキサス州ダラスで鳴り響いたあの銃声は、間違いなくその候補の一つであろう。一人の若き大統領の死が、その後の世界の航路を大きく捻じ曲げたのだとすれば、彼が生きていた未来は、一体どのような姿をしていたのだろうか。

目次

ダラスの凶弾と遺された「ニューフロンティア」

ジョン・F・ケネディ(JFK)大統領の時代は、希望と不安が交錯する極めて напряжен (ナプリジョン:ロシア語で「緊張」)な時代であった。彼は、キューバ危機という人類が核戦争の淵を覗き込んだ未曾有の国難を回避し、ソ連との間に部分的核実験禁止条約を締結するなど、冷戦下における緊張緩和の道を模索した。国内では、公民権運動の高まりに対し、連邦政府としての人種差別撤廃への介入を本格化させようとしていた。そして何よりも、彼のビジョンは「ニューフロンティア」という言葉に象徴される。その最大のプロジェクトが、1960年代中に人間を月面に送り込むという壮大な「アポロ計画」であった。しかし、その政策の裏側では、ベトナムへの軍事顧問団派遣が増強され、後の泥沼化への道筋が着々と築かれつつあったことも事実である。彼の理想主義的なビジョンは、CIAや軍産複合体、南部の保守派といった国内の強力な抵抗勢力としばしば衝突しており、その政権運営は決して盤石ではなかった。ダラスの凶弾は、これら全ての可能性と矛盾を内包したまま、彼の時代を強制的に終わらせたのである。

運命を分かつ一秒、ダラスの奇跡

歴史の分岐点は、1963年11月22日、ディーリー・プラザをパレードカーが進む、まさにその瞬間である。我々の仮定では、リー・ハーヴェイ・オズワルドが放った第一弾の銃声に、大統領警護隊のシークレットサービス、クリント・ヒルの反応が史実よりコンマ数秒早かった。彼は即座に大統領専用車の後部に飛び乗り、身を挺して大統領夫妻を庇う。結果として、後続の銃弾はケネディの頭部を逸れ、肩を貫通する重傷に留まった。致命傷を免れたのである。この「ダラスの奇跡」は、アメリカ全土、ひいては世界に衝撃と安堵の波をもたらした。犯人グループ(単独犯か複数犯かは、この世界線でも永遠の謎として語られる)は速やかに制圧され、大統領は一命を取り留める。この暗殺未遂事件は、ケネディに対する国民の同情と支持を爆発的に高め、彼の政治的求心力を前例のないレベルにまで引き上げた。彼はもはや単なる大統領ではなく、死の淵から生還した「英雄」として、一種の神格化されたカリスマ性を手に入れることになった。この強大な政治的資本こそが、その後の世界史を根底から書き換える原動力となる。

ベトナムからの段階的撤退と加速する宇宙競争

暗殺の危機を乗り越え、絶大な支持を背景に政権2期目を迎えたケネディは、史実において彼自身が模索していたとされる政策を、より大胆に実行に移す。その最たるものが、ベトナム政策の転換である。史実では、彼の死後に就任したリンドン・ジョンソン大統領が「トンキン湾事件」を口実に北爆を開始し、戦争は全面介入へと突き進んだ。しかし、JFK生存ifの世界線では、ケネディは軍部やタカ派の圧力を「生還した英雄」のカリスマで抑え込み、NSAM 263(国家安全保障行動覚書263号)に基づき、1965年までに南ベトナムからの軍事顧問団の段階的撤退を完了させる。彼は演説でこう語るだろう。「アジアの戦争は、アジア人自身が戦うべきである。我々のフロンティアは、東南アジアのジャングルではなく、星々の海にあるのだ」と。

この「ベトナム戦争回避」は、アメリカ社会に計り知れない恩恵をもたらした。まず、数万人の若者の命が失われずに済み、数十万人が心身に傷を負う悲劇が回避された。社会を引き裂いた反戦運動とカウンターカルチャーの激しい対立も発生せず、1960年代後半のアメリカは、社会の分断ではなく、国家目標への一体感を維持することに成功する。そして、ベトナムの泥沼に注ぎ込まれるはずだった年間数百億ドルという天文学的な戦費と、最高の頭脳を持つ人材は、ケネディが指し示したもう一つのフロンティア――宇宙開発へと振り向けられる。1969年のアポロ11号による月面着陸は、この世界線ではゴールではなく、壮大な宇宙時代の幕開けを告げる号砲に過ぎなかった。ケネディは月面着陸の成功演説で、早くも次なる目標として「1980年代の有人火星探査」と「恒久型宇宙ステーション『フロンティア1』の建設」を宣言。米ソの宇宙開発競争は、月を越えて太陽系へと拡大し、人類の技術革新を前例のない速度で加速させていくのである。

モノクロ調のベトナム戦場で撤退する米兵と、カラーで描かれたサターンVロケットの発射シーンを、ケネディの横顔シルエットが隔てる構図
ベトナム戦争撤退と宇宙開発競争への歴史的転換

新たな冷戦の形と「宇宙開拓時代」の到来

ケネディ政権下で進められた宇宙への巨額投資は、100年後の世界に決定的な影響を及ぼした。ベトナムでの代理戦争を回避したアメリカは、ソ連との冷戦において、軍事力ではなく技術力と経済力、そして「未来へのビジョン」で圧倒的優位に立つ。ソ連は、アメリカが主導する果てしない宇宙開発競争に引きずり込まれ、その経済は深刻な疲弊を見せ始める。史実におけるアフガニスタン侵攻のような軍事的暴発もなく、経済的困窮から改革を迫られたソ連では、史実より10年早い1980年代初頭にゴルバチョフのような改革派が台頭。米ソ間のデタントは急速に進み、1985年頃には「宇宙空間の共同利用と平和利用に関する包括的条約」が締結され、冷戦は事実上の終結を迎える。

この「平和的な冷戦終結」は、世界の技術パラダイムを根底から変えた。宇宙開発競争の過程で生まれた素材科学、コンピューター技術、生命維持システム、AI技術、そして高効率の太陽光発電技術などは、1990年代から爆発的に民生転用が進む。特に、世界中の宇宙探査データを共有・解析するために発展したグローバル・ネットワーク(我々の世界のインターネットの原型)は、商業利用へと解放され、新たな経済圏を創出した。文化的には、ベトナム戦争がなかったことで、60年代のカウンターカルチャーは反権威・反戦といった色合いを薄め、代わりに宇宙への憧れや環境問題、テクノロジーと人間の共存といった、よりSF的で未来志向のテーマを帯びるようになった。楽観主義とフロンティアスピリットが、20世紀後半の基調音となったのである。人類は、内向きの対立ではなく、外向きの挑戦にそのエネルギーを注ぐ道を選んだのだ。

現代情景描写:2024年、月面都市アルテミスにて

西暦2024年、月面のシャックルトン・クレーターの縁に建設された国際月面都市「アルテミス」。その管制センターの巨大な窓からは、漆黒の空に浮かぶ壮麗な青い地球が見える。壁一面のホログラフィック・ディスプレイには、火星軌道上の探査船「JFK-2」から送られてくるリアルタイムのデータや、地球低軌道に浮かぶ宇宙太陽光発電衛星群の稼働状況が映し出されている。ここでは、米・露・欧・日の多国籍クルーが、AIパートナーの補助を受けながら、ヘリウム3の採掘プラントや月面天文台の運用を共同で行っている。彼らの手首にはめられた半透明のデバイスは、生体情報を管理し、地球の家族とシームレスな通信を可能にする個人端末だ。地上では、宇宙港から発着する準軌道旅客機が、大陸間を2時間で結ぶ。テクノロジーは戦争のためではなく、人類の活動領域を広げるために進化した。この世界では、誰もが当たり前のように夜空を見上げ、人類の次なる故郷に思いを馳せる。それは、一人の大統領が60年前に夢見た「ニューフロンティア」が、現実となった光景であった。

シャックルトン・クレーターの縁に建つ透明ドーム都市で、多国籍の宇宙飛行士と人型ロボットが作業し、背景に地球と火星探査船、太陽光発電衛星が見える風景
2024年、月面都市アルテミスでの多国籍クルーとAIの活動

銃弾が変えた未来と、我々が失ったかもしれない可能性

ジョン・F・ケネディの生存がもたらした世界は、疑いなく我々の現実よりも楽観的で、希望に満ちたものに見える。ベトナム戦争という巨大な悲劇と社会の分断を回避し、そのエネルギーを宇宙開発という人類共通の夢に昇華させた世界。冷戦は流血を伴わずに終結し、テクノロジーはより平和的な目的のために進化した。それは、一人の指導者のビジョンとカリスマが、歴史をより良い方向へと導き得た輝かしい証明かもしれない。

しかし、我々はこの仮想の歴史に、手放しで称賛を送るべきだろうか。ケネディという「生ける伝説」の強力なリーダーシップは、時として民主的なプロセスを軽視し、彼のビジョンに合わない意見を封殺する権威主義的な側面を孕んでいなかっただろうか。宇宙という「外なるフロンティア」への熱狂は、地球上に残された貧困、格差、環境破壊といった「内なるフロンティア」から国民の目を逸らすための、壮大なスペクタクルではなかったのか。歴史は一人の英雄の意思だけで動くものではない。彼の生存が、我々の知らない、また別の形の悲劇や新たな対立の火種を生んでいた可能性も決して否定できないのである。

結局のところ、歴史に「if」はない。我々が立っているこの現実は、無数の偶然と必然が織りなした、唯一無二の結果である。だが、あり得たかもしれない別の未来を想像することは、我々が今立っている場所を相対化し、未来への選択肢を再考するための、最も知的な営為の一つだ。ケネディが回避した銃弾は、我々に問いかける。我々がこれから進むべきフロンティアは、一体どこにあるのだろうか、と。

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次