【世界線#001】もしも織田信長が本能寺で殺されていない世界だったら―信長が築いた「日本帝国」とアジア主導のもう一つの世界史―

“第六天魔王”の野望は、いかにして現代を形作ったか

信長生存ルートの世界観を表現したメインビジュアル
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【史実の整理】本能寺の変、その衝撃と信長の未完の夢

1582年6月、天下統一を目前にした戦国の覇者・織田信長は、家臣・明智光秀の謀反によって京都・本能寺で自害に追い込まれた。信長の死は、日本史における最大級の転換点であり、その後の豊臣秀吉の台頭、徳川幕府の成立へとつながる。信長は、鉄砲の導入や楽市楽座による経済改革、キリスト教布教の黙認など、従来の枠にとらわれない政策を次々と推進していた。もし信長が生きていれば、より強権的で中央集権的な国家が早期に成立していた可能性が高い。

だが、信長が本能寺で命を落とさなかった場合、果たして日本と世界はどう変わっていただろうか。

【仮定の分岐】本能寺脱出と信長の逆襲

仮定する。1582年6月、明智光秀の軍勢が本能寺を襲撃するも、信長は近習の警戒によって事前に異変を察知し、密かに脱出に成功したとする。
信長はそのまま坂本城を急襲、光秀を討伐。わずか数週間で叛乱を鎮圧し、敵対勢力に鉄槌を下す。その怒りは苛烈で、以降、信長は家臣団の再編を徹底し、裏切りの芽を根絶やしにする体制を築き上げた。

さらに、信長は政治制度を大きく刷新。単なる軍事力だけではなく、検地制度の整備や貨幣流通の統一、税制改革による農民層の安定化を進め、商人階級には自治権を与えつつも中央への忠誠を義務づけるなど、徹底した国家統制経済を打ち立てていく。

この出来事が、日本の歴史の流れを大きく変える分岐点となった。

【中期的変化】中央集権国家・日本帝国の成立とアジア支配

光秀討伐後、信長はさらなる軍事改革を進め、秀吉や家康などの有力大名を従わせつつ、反抗の兆しを見せる者には容赦なく粛清を加えた。1585年までに九州・四国を平定し、実質的な天下統一を達成。その後、信長は自らを「皇帝」と称し、天皇を形式的な存在へと追いやる体制を整えた。

この中央集権的な軍事国家の成立は、国内における内戦の火種を完全に鎮め、日本国内にかつてない安定をもたらした。その一方で、外交政策は攻撃的かつ拡張的であり、1587年には朝鮮半島を制圧、さらに中国大陸沿岸部にも勢力を伸ばし、明王朝の衰退を加速させる。中国南部には日本の影響下にある自治都市がいくつも建設され、交易と軍事の要所となった。

キリスト教については一部制限を設けつつも、西洋との交易路を維持し、火薬・航海術・医術といった先端技術を積極的に導入。国内では寺社勢力を抑え、武士と商人が主導する政商国家としての性格を強めていく。

【長期的影響】アジア主導の世界秩序と日本文明圏

信長の死後も、その国家体制は維持され、織田家による「日本帝国」は300年以上続いた。

19世紀、西洋列強がアジア進出を図るも、すでに広大な領土と軍事力を誇る日本帝国はこれに対抗。イギリスとの交渉では、インド洋の勢力圏を分割し、中国大陸での影響力を競う形となった。アヘン戦争は発生せず、代わりに日本主導の禁煙政策が広がる。

産業革命は独自に展開され、蒸気機関から電力、さらに和洋折衷の産業技術が発達し、鉄道網や通信網がアジア一帯に整備された。日本はアジアにおける文化・技術の中心地として、西洋文明と肩を並べる存在となった。

20世紀の世界大戦は、アジア文明圏 VS 西洋列強の対立構造となり、日本帝国はドイツ、オスマン帝国などと同盟を組み、世界秩序を再編する立場に立った。

【現代情景描写】

信長生存ルートの現代東京の街並み情景イメージ
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皇居の代わりにそびえ立つ「織田宮殿」は、朱塗りと金箔で装飾された巨大な城郭都市であり、首都・東京を象徴する存在だ。その前には甲冑を纏った機動兵が警備に立ち、西洋風の高層ビル群と和洋折衷の建築が入り混じる景観が広がる。
街を走るのは蒸気機関と電力を併用した装甲列車型の市電。人々は和装に近代的な意匠を加えた服装を身につけ、スマートグラス越しに最新の情報を閲覧している。
寺院ネットワークが街の至る所にあり、精神修養と情報技術が融合した独自の教育システムが存在。アジア諸国の首脳が集う「東方連盟」の旗が街角に掲げられ、日本帝国がアジアの中心国家であることを誇示している。

今回の歴史改変のまとめと考察

もし織田信長が本能寺の変を生き延び、天下統一を果たしていたならば、日本は早期に中央集権的な軍事国家となり、アジアの覇権国家として世界史に君臨していた可能性が高い。その体制は、近代化を急激に進めながらも、伝統的な文化を色濃く残したまま、西洋と対峙する独自の文明圏を築いていただろう。

歴史のわずかな分岐が、世界の秩序すら塗り替える。
果たして、現代の我々はその秩序の中で何を選び、どう生きていただろうか。

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